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酒井抱一筆「四季花鳥図屏風」周辺(十四) [酒井抱一]

その十四三  酒井抱一筆「八橋図屏風」と鈴木其一筆「朝顔図屏風」周辺

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酒井抱一筆「八橋図屏風」六曲一双 絹本金地著色 各一六三・〇×三七二・〇cm
出光美術館蔵 → 図一

八橋図屏風・拡大.jpg

同上部分拡大図(左隻第五・第六扇) → 図二

其一・朝顔図屏風一.jpg

鈴木其一筆「朝顔図屏風」六曲一双 紙本金地著色 各一七八・二×三七九・八㎝
メトロポリタン美術館蔵 → 図三

其一・朝顔図拡大.jpg

同上部分拡大図(左隻第五・第六扇) 図四
【 鈴木其一筆「朝顔図屏風」 図三・図四
 「菁々其一」墨書・「為三堂」朱文円印がある。菁の字は癖がなく丸みを帯び、第二画を左回りに入ることから、菁々落款の中頃の書体と考えられる。五十歳代前半の作であろう。
通常の屏風よりも一回り大きい大画面を、あくまでも一色の朝顔だけで埋め尽くす。花や葉は現在、沈んだ色調のものが多いが、左隻中央などに残る明るい色が当初の色である。制作当初は、澄み切った青一色の花と明るい緑の葉が、金箔地に照り映えていたのである。
本作品は、師抱一の「八橋図屏風」とその本歌である光琳の「八橋図屏風」や「燕子花図屏風」に対する、其一の見事な返歌である。金地に燕子花だけ描く光琳の「燕子花図屏風」は『伊勢物語』八橋に見立てられるが、金地に朝顔だけ描く本作品は、『源氏物語』の朝顔に見立てることができる。光琳の夏の燕子花に対し、其一は秋の朝顔を選ぶ。さらに、秋草の中から朝顔だけを取り出す点で、「藤袴図屏風」のような宗達周辺作が参考にされた可能性も高い。
ただし、宗達周辺の「芥子図屏風」や光琳の「燕子花図屏風」・「八橋図屏風」などが、地面や空の区別のない金地におおらかに画材を配するのに対し、本作品は、金箔の継ぎ目を垣根に見立て、その架空の垣根に朝顔を這わせている。宗達・光琳が横方向の画材の反復により画面を律するのに対し、本作品は屏風の両端に画材を寄せて画面構成を基本とする。前者では画材の反復がその生命の謳歌に通じていたのに、ここでは、他者を廃してまで繁茂する異様なまでの形態感覚に変じている。宗達以来の単一画材への最終的な挑戦が、本作品といえよう。  】
(『特別展 琳派 美の継承 宗達・光琳・抱一・其一(名古屋市博物館)』所収「作品解説(竹内美砂子稿)」)

 この作品解説中の、「本作品は、師抱一の「八橋図屏風」とその本歌である光琳の「八橋図屏風」や「燕子花図屏風」に対する、其一の見事な返歌である」との「本歌と返歌」との視点で、「八橋図屏風」(抱一筆)と「朝顔図屏風」(其一筆)、そして、「四季花鳥図屏風」(抱一筆)と「四季花鳥図屏風」(其一筆)とを総括的な鑑賞の、その一端について記して置きたい。

一 「八橋図屏風」(抱一筆)と「朝顔図屏風」(其一筆)とは、本歌と返歌の関係にあり、本歌の「八橋図屏風」(抱一筆)は、「八つ橋(橋桁)と燕子花」との二点ものの構図に比し、その返歌の「朝顔図屏風」(其一筆)は、「朝顔」だけの単一ものの構図で応酬している。
これは、「八橋図屏風」(抱一筆)が、その「八つ橋(橋桁)」を渡りながら「燕子花」を見るという、「画・俳」二道を信条とする抱一特有の「視線誘導型」の画面構成に比して、其一は、「金箔の継ぎ目を垣根に見立て、その架空の垣根に朝顔を這わせている」という新趣向をもって応酬しているということになる。
 ここに、師(抱一)と弟(抱一)の、その師弟間の弛まざる切磋琢磨の一端が見えてくる。

二 「八橋図屏風」(抱一筆)が、具象的な絵画空間(図一)とすると、「朝顔図屏風」(其一筆)は、抽象的な絵画空間(図三)ということになる。しかし、個々に見ていくと(図二と図四)、「八橋図屏風」(抱一筆)の「燕子花(緑の葉と藍の花)」(図二)が、「朝顔(緑の葉と藍の花)」(図四)へと、その「燕子花」(俳諧上の「夏の花」)から「朝顔」(俳諧上「秋の花」)への変奏という、その本歌(燕子花)と返歌(朝顔)との関係が、見事にクローズアップされてくる。

三 この、「八橋図屏風」(抱一筆)の「燕子花」から、「朝顔図屏風」(其一筆)への変奏は、同時に、前者の「燕子花=伊勢物語」から「朝顔=源氏物語」への転回をも意味している。前者の「燕子花=伊勢物語」は、その第九段の「東下り」の地上の景とすると、後者の「朝顔=源氏物語(第二十帖)」は、「見しおりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん」の、時空を超えての回想の、謂わば、天空の景である。この天空の景から、宗達の
「雲龍図屏風」の、右隻の「降り龍」と左隻の「降り龍」とが、それぞれ姿勢を反転させて、相互に睨み合っている図柄が想起されてくる。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-07-23

四 さて、抱一の「四季花鳥図屏風」(陽明文庫蔵)と其一の「四季花鳥図屏風」(東京黎明アートルーム蔵)もまた、本歌と返歌の関係にある。前者は、文化十三年(一八一六)、抱一、五十六歳、蠣潭、二十五歳、其一、二十一歳のときの作品である。蠣潭は、この翌年の六月に、二十六歳の若さで急死する。この作品は、「鶯邨畫房」時代の最高傑作の一つであろう(「雨華庵(畫房)」の額は、この翌年に掲げられる)。そして、この作品には、当時の抱一の付人の蠣潭と、十八歳のときに抱一門となった其一の筆も入っていることであろう。
 それに対して、後者の作品は、嘉永七年(一八五四)、其一、五十九歳時の作品である。この年は、「等覚院二十七忌」(抱一二十七回忌)が営まれた年なのである。とすれば、六十歳の耳順の歳を目の前にして、志学(十五歳)して間もない頃の、父親代わりの「抱一・蠣潭」との切磋琢磨した総決算の「四季花鳥図屏風」(抱一筆・陽明文庫蔵)を本歌として、それに返歌したものが、「四季花鳥図屏風」(其一筆・東京黎明アートルーム蔵)と解することができよう。

五 抱一の「四季花鳥図」(陽明文庫蔵)の最大の特徴は、右隻(第四・五・六扇)に描かれた純白の二羽の「白鷺」と、左隻(第四・五・六扇)に描かれた純白の「雪・白梅・白水仙」、そして、各所に散りばめられた純白の「花」(白牡丹・白燕子花・白立葵・白撫子など)の、眩しいほどの白色の美しさにある。それを本歌とする其一の「四季花鳥図」(東京黎明アートルーム蔵)は、右隻(第一・二・扇)に純白の「辛夷」の花で始まり、左隻(第四・五・六扇)の純白の「白山茶花・白梅」を、そのゴールとしている。そして、抱一の右隻に見られた「白立葵・白燕子花」を同じく右隻に配置し、抱一の左隻の白水仙は、其一は白菊をもって応酬している。見事な、抱一の本歌に対する、其一の返歌である。

六 ここで、余興的に、この両者の「四季花鳥図」に描かれた「鳥」を、「琳派」の画人等に見立てて記して置きたい。

抱一筆「四季花鳥図」(陽明文庫蔵) → 「二羽の白鷺」→光悦・宗達 「鷭」→宗雪 「雉」→光琳 「鴫」→乾山 「鶯」→抱一 「二羽の雲雀」→蠣潭・其一 

其一筆「四季花鳥図」(東京黎明アートルーム蔵) →「二羽の花鳥(鵯?))→光悦・宗達 「二羽の時鳥(?)」→光琳・乾山 「二羽の鶯(枝上)」→抱一・小鶯女史 「鶯(?・地上)」→其一 「鶯(?・葉陰に隠れている)」→蠣潭

(再掲)
https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-06-18

酒井抱一筆「四季花鳥図屏風(陽明文庫蔵)」(右隻)

四季屏風春・夏.jpg

酒井抱一筆「四季花鳥図屏風(陽明文庫蔵)」(左隻)


四季屏風秋・冬.jpg

(再掲)
https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-07-21

鈴木其一筆「四季花鳥図屏風(東京黎明アートルーム蔵)」(右隻)

其一・四季花鳥図右.jpg

鈴木其一筆「四季花鳥図屏風(東京黎明アートルーム蔵)」(左隻)

其一・四季花鳥図左.jpg
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