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雨華庵の四季(その三) [酒井抱一]

その三「春(三)」

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酒井抱一筆『四季花鳥図巻(上=春夏・下=秋冬)』「春(三)」東京国立博物館蔵
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035814

花鳥巻春三拡大.jpg

(同上:部分拡大図)

 上図は、右から「春(二)」に続く「薺・杉菜」の次に、「菜の花」(晩春)・「大根の花」(晩春)、そして「蚕豆(そらまめ)の花」(晩春)・「蚕豆」(初夏)、さらに、その大根の花の上に「蜆蝶」(三春の「蝶」の子季語)、菜の花には「紋白蝶」(三春の「蝶」の子季語)が停まっている。
 「蝶」は「三春」(初春・仲春・晩春))の季語だが、「初蝶」(初春)、「揚羽蝶・夏の蝶」(三夏)、「秋の蝶」(三秋)、「冬の蝶」(三冬)、「凍蝶」(晩冬)と、四季にわたって詠まれている。
 上図の左端の「枝垂れ桜」は、「仲春」の季語で、全体としては「春の景」であるが、この「蝶」(蜆蝶と紋白蝶)が、これまでの「春の景」を「夏の景」へと誘っている雰囲気を有している。
 また、これまでの「春(一)」と「春(二)」が、地面上の「地の景」とすると、ここから、蝶が舞い飛ぶ「天の景」へと視点を転回させている。

蝶(三春・「蝶々・胡蝶・春の蝶・小灰蝶・蜆蝶・白蝶・緋蝶・だんだら蝶」)「蝶は彩りあざやかな大きな翅をもつ昆虫。花の蜜を求めてひらひらと舞ふ。」
 散りぬれば後はあくたになる花を思ひ知らずもまどふ蝶かな 僧正遍照「古今集」
 蝶の飛ぶばかり野中の日影かな   芭蕉 「笈日記」
 うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉  蕪村 「蕪村句集」
 夕風や野川を蝶の越しより     白雄 「白雄句集」
 ひらひらと蝶々黄なり水の上    子規 「子規全集」
初蝶(初春・「はつちょう・はつてふ」)「春になって初めて目にする蝶のこと。」
 たちいでて初蝶見たり朱雀門    大江丸「俳懺悔」
 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ     虚子 「六百五十句」
揚羽蝶(三夏・「黒揚羽・烏揚羽・烏蝶」)「春はやや小さめだが夏になると一回り大きくなる。」
 黒揚羽花魁草にかけり来る     虚子「虚子全集」
 我が来たる道の終りに揚羽蝶    耕衣「驢鳴集」
夏の蝶(三夏・「夏蝶・梅雨の蝶」)「夏に見かける蝶のこと。単に蝶では春の季語となる。」
 まことちさき花の草にも夏の蝶   石鼎 「原石鼎全句集」
秋の蝶(三秋・「秋蝶・老蝶」)「立秋を過ぎてから見かける蝶のこと。春や夏の蝶にから比べるといくらか弱々しい印象を受ける。」
 薬園の花にかりねや秋の蝶     支考 「梟日記」
 山中や何をたのみに秋の蝶     蝶夢 「三夜の月の記」
 あきの蝶日の有るうちに消えうせる 暁台 「暁台日記」
 しらじらと羽に日のさすや秋の蝶  青蘿 「青蘿発句集」
 秋のてふかがしの袖にすがりけり  一茶 「七番日記」
冬の蝶(三冬・「冬蝶・越年蝶」)「冬に見かける蝶のこと。その蝶も寒さが強まるにしたがい飛ぶ力もなくなり、じっと動かなくなってしまう。」
 落つる葉に撲(う)たるる冬の胡蝶かな  几董 「晋明集二稿」
凍蝶(晩冬・蝶凍つ))「寒さのため凍てついたようになる蝶のこと。哀れさという点では「冬の蝶」より差し迫った感じがある。」
 石に蝶もぬけもやらで凍てしかな     白雄 「白雄句集」

大根の花(晩春・「菜大根の花、種大根」)「大根の種を採るために畑に残した株に薹が立ち、白い十字型の花を咲かせる。紫がかったものもある。」
 まかり出て花の三月大根かな   一茶 「題叢」  
 花大根黒猫鈴をもてあそぶ    茅舍 「川端茅舍句集」

蚕豆(そらまめ)(初夏・「空豆、はじき豆」)「お多福の形をした薄緑の大きな豆。莢(さや)が空に向かってつくためこの名がある。また、莢の形が蚕に似ていることから蚕豆という字をあてることもある。」
 そら豆やただ一色に麦のはら   白雄 「題葉集」
 假名かきうみし子にそらまめをむかせけり 久女 「杉田久女句集」
蚕豆(そらまめ)の花(晩春)「春の盛りの頃葉腋に白色又は薄紫色の蝶形花を数個ずつつける。」
 そら豆の花の黒き目数知れず   草田男 「長子」
 蚕豆の花の吹き降り母来て居り  波郷  「惜命」 

菜の花(晩春・「花菜・菜種の花・油菜」)「菜種の黄色い花。一面に広がる黄色の菜の花畑は晩春の代表的な景色。近世、菜種油が灯明として用いられるようになってから、関西を中心に栽培されるようになった。」
 菜畠に花見顔なる雀哉      芭蕉 「泊船集」
 菜の花や月は東に日は西に    蕪村 「続明烏」
 なの花の中に城あり郡山     許六 「韻塞」
 菜の花やかすみの裾に少しづつ  一茶 「七番日記」
 菜の花や淀も桂も忘れ水     言水 「珠洲之海」
 菜の花の中に小川のうねりかな  漱石 「夏目漱石全集」
 
枝垂桜(仲春・「糸桜・しだり桜・紅枝垂」)「薄紅色の花を、細くて垂れ下った枝につける。樹齢は長い。」
 目の星や花をねがひの糸桜   芭蕉 「千宣理記」
 糸桜則ち是か華の雨      淡々 「華の日」
 影は滝空は花なり糸桜     千代女 「千代尼句集」
 いとざくら枝も散るかと思ひけり 嘯山 「葎亭句集」
 ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら 蕪村 「蕪村句集」

【 抱一は寛政九年(一七九七)、三十七歳で江戸下向中の西本願寺十八世文如(もんにょ)上人より得度を受け、権大僧都として僧となった。その後十二年ほどの間に転居を繰り返したが、文化六年(一八〇九)の年末、吉原にほど近い下谷金杉大塚村(台東区根岸五丁目辺り)に小鸞女史とともに庵を結ぶ。後に雨華庵と呼ばれるこの小さな庵は、その後抱一の絵画活動の拠点となるとともに、僧としての務めを果たす場所でもあった。
 弟子の田中抱二(一八一四~八四)が明治十六年(一八八三)に描いた「雨華庵図」は、七十二歳になった抱二が往年の師宅を思い出して描いたもの。それによれば雨華庵は、玄関、台所のほかは座敷、仏間、茶間、画所の四室ばかりであった。抱二のメモによれば、ここで六月二日の光琳忌には扇合(おおぎあわせ)が、十一月五日には御花講が営まれたという。
 また抱一には「二尊庵」という号があり、六十歳前後から使用されていたようだが、これは雨華庵の本尊が阿弥陀如来像二尊であったことによる。朝夕に読経も行われ、抱一は案外真面目に仏事にも励んでいたらしい。浄土真宗西本願寺派の末弟、等覚院文詮暉真(とうかくいんもんせんきしん)こと抱一上人の勤行の場であった。
 さらに、雨華庵二世を継いだ鶯蒲は大田南畝ゆかりの市ヶ谷浄栄寺の出身だが、その過去帳の抱一の項には唯信寺開祖とあり、雨華庵をして唯信寺を寺号としていた形跡が認められる。雨華庵三世の鶯一もまた浄栄寺の血縁に連なる者であった。つまり抱一は、江戸琳派の画風の継承と、仏事を営み抱一を供養する立場とを別次元で考えていたひとが明らかである。
 このように、抱一が後半生を市井の僧として暮らしたことで、画業にも新たな展開が生まれた。さまざまな仏画を積極的に手掛けるようになったのである。 】
(『別冊太陽 江戸琳派の粋人 酒井抱一(仲町啓子監修)』所収「画僧抱一の仏画(岡野智子稿)」中「勤行の場でもあった画房『雨華庵』」)

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【 田中抱二「雨華庵図」 1883(明治16)年 紙本着色 26.5×37.8
 抱一が大塚村(現在の台東区根岸五丁目辺り)に構えた画房は、1817(文化14)年に「雨華庵」の号を掲げるようになった。抱一没後も弟子が集まり一門を呈したが、1865(慶應元)年8月21日夜、火災で焼失してしまう。これは抱一の弟子の田中抱二(1814~84)が記憶を頼りに描いた雨華庵の見取り図で、画塾としての様子をうかがう貴重な資料である。(松尾知子稿) 】
(『別冊太陽 江戸琳派の粋人 酒井抱一(仲町啓子監修)』所収「<風>をつかまえた絵師(仲町啓子稿)」)

 この「雨華庵図」の右上に、次のような記載が書かれている。

【植木 大樹 赤松・かしは(柏)・ぬるて(白膠木)・にしき(錦木)・あちさい(紫陽花)
    艸(草)はき(萩)・すゝき(薄)・女郎花・なてしこ(撫子)・かるかや(刈萱)
    大樹 梅・ひのき(檜)・さゝさんか(山茶花)    】

 これは、抱一の晩年の弟子の田中抱二(抱一の六十四歳時に十三歳で入門)が、晩年(七
十二歳時)に往時を回顧しての覚書きのようなものなのであろう。
 この植木関係では、「艸(草)」が、秋の七草の「萩・薄・女郎花・撫子」(「葛・藤袴・桔梗又は朝顔」は書いてない)と「刈萱」が書かれており、これは、春には、春の七草の「芹・薺・御形(ごぎょう・母子草)・繁縷(はこべら)・仏の座(タビラコ)・菘(すずな・蕪)・蘿蔔(すずしろ・大根)」なども植えられていたようにも思えてくる。
 そして、それらは、この両巻合わせて十四メートル余の長大な「四季花鳥図巻」の「植物
(六十種)」の大部分が、「樹木」ではなく「草花」であることと何処かしら結びついているように思えるのである。
 それらのことは、この後に続く、「夏・秋・冬」の草花が、どのように描かれているのか
を見ていくことによって、より鮮明になってくるであろう
 ここで、「雨華庵」屋内の間取りを見ていくと、その母屋は左側から「画所(えどころ)・
茶間(居間)・仏間・座敷」の四部屋(「画所」の上部に「前室」)と、その「画所」の離
れ屋風に「茶室」がある。この「茶室」に面した庭に「赤松斗(バカ)リ」と書かれ、「座敷」
の庭に面した所に「ヒサシ(庇)アリ」と書かれている。また、庭の池には、「魚・ヒ
鯉(緋鯉)・金魚」と書かれている。
 これらを、先の「勤行の場であった画房『雨華庵』」(岡野智子稿)と重ね合わせると、
「画所と茶室」スペースが「雨華庵画房」、「仏間・座敷」スペースが「二尊庵(後に寺号の「唯信寺」)、その両者の共通スペースが「茶間(二か所の「間仕切り」あり)」と考えることも出来るであろう。
 そして、この画房「雨庵庵」と僧房「二尊庵」との、この両者を結びつけるものが、「雨華庵・二尊庵」の自然(四季の「景物=花・鳥」)ととらえることも可能であろう。
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middrinn

余談ですが、丸谷才一のエッセイ「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」
(同『男もの女もの』[文春文庫,2001]所収)が、「王朝和歌で
蝶が歌はれない」ことを論じてて最後に俳諧に言及してますね(^^)
by middrinn (2019-05-15 12:40) 

yahantei

「王朝和歌で蝶が歌はれない」→いいネーミンクですね(未読ですので、楽しみにしています)。実は、この丸谷才一さんが、抱一好きのようで、『日本文学史早わかり』の巻末の「付表」で、抱一『屠龍之技』を堂々と掲載しているのに、先日、気がつきました。文化勲章受章者(?)の大家で、「日本文学史」上、抱一を取り上げている方は、才一(名が抱一に似ている)さんだけでしょう。この著の中の「歌道の盛り」というところでも、抱一が何か所かで出てきます。middrinさんが興味あると思いつつ、そのうちの一つを上げておきます。
抱一 → ああ欠(あく)び唐土(もろこし)までも秋の暮
大弐三位 → 遥なるもろこしまでもゆくものは秋のねざめの心なりけり

抱一の句は、全然理解できなかったのですが、才一さんの指摘でやっと解けました。
また、そちらのサイトなどで。
by yahantei (2019-05-15 15:47) 

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