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江戸の粋人・酒井抱一の世界(その十三)  [酒井抱一]

その十三 江戸の粋人・抱一の描く「その三 吉原月次風俗図(三月・夜桜)」

 前回(「その二 吉原月次風俗図(二月・初午」)に続く、「吉原月次風俗図(三月(夜桜)」というのは、『琳派第五巻(監修:村島寧・小林忠、紫紅社)』などには収載されていない。
 その同書中の、「花街柳巷図巻」(個人蔵)で、下記の通り、その概要を見ることが出来る(また、同書中の「作品解説(小林忠稿)」は次の通り)。

三月.jpg

抱一筆「花街柳巷図巻」のうち「三月(夜桜)」
【三月(夜桜) 「夜さくらや筥てうちんの鼻の穴 楼上に居續したるあした起よ今朝 うへ野の四ツそ花の雨」の賛と、仲の町に植えられた桜の木と柵の絵」(「作品解説(小林忠稿)」)。】

 この図と、この作品解説だけでは、抱一の「吉原月次風俗図(三月・夜桜)」「花街柳巷図巻(三月・夜桜)」をイメージするのは無理かも知れない。吉原の仲の町通り(メインの大通り)に植えられる桜(開花の時に植えられ、散ると撤去される)と箱提灯(筥てうちん:下図では花魁道中の先頭の人が持っている提灯)は、下記の「東都名所画 吉原の夜桜(渓斎英泉筆)」などによるとイメージがし易い。

英泉・夜桜.jpg

渓斎英泉筆「東都名所画 吉原の夜桜」(太田記念美術館蔵)

   夜ざくらや筥てふちんの鼻の上  (抱一・「三月・夜桜」の賛)

【 三月の図は春の人寄せのイベントである夜桜が描かれます。画賛の一つは「夜ざくらや筥でうちんの鼻の穴」です。春の吉原は、仲之町通りに鉢植えの桜を置きます。この画賛の初案の頭註には、『史記』「周本紀」第四に載る字句「后稷生巨跡」に拠ったとあります。后稷には、母親の姜原が巨人の足跡を踏んで妊娠したという伝説があります。つまり、「筥でうちんの鼻の穴」という小さい穴は、后稷が生まれた巨人の足跡に見立てられています。そこからうまれたものは「夜ざくら」と、描かれない多数の見物客です。つまり、筥提灯の上部の空気穴から光が漏れる。その光に照らしだされた夜桜と多数の見物客が、后稷に見立てられます。ここでは画賛は、夜桜の賑わいを補完する機能を担わされています。 】(「抱一筆『吉原月次風俗図』の背景(井田太郎稿)」)

どうにも、難解な、抱一の師筋に当たる、宝井其角の「謎句」仕立ての句である。この句の前書きのような賛に書かれているのだろうが、『史記』の「后稷(こうしょく)」伝説に由来している句のようである。
「后稷(こうしょく)」伝説とは、「〔「后」は君、「稷」は五穀〕 中国、周王朝の始祖とされる伝説上の人物。姓は姫(き)、名は棄(き)。母が巨人の足跡を踏んでみごもり、生まれてすぐに棄(す)てられたので棄という。舜(しゆん)につかえて人々に農業を教え、功により后稷(農官の長)の位についた」を背景にしているようである。
 ここは、余り詮索しないで、上記の、渓斎英泉筆「東都名所画 吉原の夜桜」ですると、「花魁道中を先導する男衆の持つ箱提灯の上部の穴からの光が、鮮やかに夜桜や人影を浮かび上がらせる」というようなことなのであろう。

  吉原の夜見せをはるの夕ぐれは入相の鐘に花やさくらん 四方赤良(大田南畝)
  廓(さと)の花見は入相が日の出なり  (『柳多留六三』)
  夜桜へ巣をかけて待つ女郎蜘蛛     (『柳多留七三』)
  年々歳々客を呼ぶために植え      (『柳多留六二』)
  里馴れて来ると桜はひんぬかれ     (『柳多留一〇七』) 

 これらの狂歌や川柳(前句付)の風刺的な「捩り」の、抱一の一句と解することも出来るのかも知れない。

  起よ今朝うへ野の四ツぞ花の雨    (抱一・「三月・夜桜」の賛)

 冒頭の作品解説中にある、「夜ざくらや筥てふちんの鼻の上」に続く、「楼上に居續したるあした起よ今朝 うへ野の四ツそ花の雨」の賛も、「(楼上に居續したるあした) 起よ今朝うへ野の四ツそ花の雨」と、「前書き=楼上に居續したるあした=吉原の妓楼に意続けての朝方」・「発句=起よ今朝うへ野の四ツぞ花の雨」と、これも、「朝方四ツ=吉原の朝方十時、うえ野=上野の山、花の雨=花の散りかかる頃の雨」の発句の賛のようである。

  夜ざくらや筥てふちんの鼻の上  (「吉原」の「夜桜」を昨夜はたっぷり堪能した)
  起よ今朝上野の四ツぞ花の雨(起きよ今朝四ツ時ぞ「上野」の「花の雨」の見物だ)

 これは、「吉原の夜桜見物」と、「居続け」にして、「上野の山の昼の花の雨見物」へと、次々と「ハシゴ(梯子)」する、抱一らの「江戸座俳諧」特有の洒落句(滑稽句)としての二句なのかも知れない。

  桜から桜へこける面白さ (『柳多留二五』)
  女房へ嘘つく桜咲にけり (『俳諧觽三』)
  居続けのばかばかしくも能(よ)い天気 (『柳多留三』)
  よくよくの馬鹿吉原に三日居る (『柳多留一八』)

其一・大門図.jpg

鈴木其一筆「吉原大門図」一幅 ニューオータニ美術館大谷コレクション蔵
【 吉原大門からつづく仲の町通りを東から眺め、入ってすぐの引手茶屋「山口巴屋」の様子や、吉原に行き交う人々の諸相をとらえる。花魁、芸者、禿、酔客、按摩、老人、若侍などと、各種の人々を等しく観察し一か所に集めた。其一は群像の表現にもはやくから関心を寄せ習熟していることを示すが、「其一戯画」と意識的な署名をし、他に使用例のない「毀誉不動(毀誉に動ぜず)」印を捺している。この意識は晩年まで続く。】
(『酒井抱一と江戸琳派の全貌(求龍堂)』所収「作品解説二〇三(岡野智子稿))

 抱一には、このような「風俗図」「群像図」は余り見られない。その抱一の右腕とも言うべき抱一門の第一人者・鈴木其一は、この種の「風俗図」「群像図」を手掛けている。しかし、上記の解説にあるとおり、この種のものの署名の「戯画」、落款印の「毀誉不動(毀誉に動ぜず)」などからすると、抱一門では、「仏画制作」を主要画業の一つにしているので、この種のものはスタンダードの分野ではないのかも知れない。
 この其一の「吉原大門図」は、抱一・其一時代の「吉原」の情景を的確に描写している。大門を入ってすぐ右手の引手茶屋が最も格式のある茶屋で七軒茶屋と呼ばれ、その筆頭格が「山口巴屋」で、その座敷に、「花魁(簪の数が多い)・新造(部屋持ちと振袖)・禿(少女)・芸者(三味線を持っている)・客人」などが描かれている。
 その大門近くの辻行燈の前に、「箱提灯を持った男衆・花魁・禿・新造」が馴染み客を出迎えるための立って待っている光景、その辻行燈の後方は「番所」(四郎兵衛)で、大門口の見張り(遊女の外出の取締り・一般女子も切手=通行証が必要、男子は自由)などをしている所であろう。その他、酔客・按摩・杖を持った老人、二本差しの侍など、これは、まさしく、典型的な「吉原風俗図」と解して差し支えなかろう。
 それに比して、抱一の「吉原月次風俗図」は、この其一の「吉原大門図」に出て来る「大門・番所・引手茶屋・辻行燈・箱提灯」などの主たる景物も、さらには、「花魁・新造・禿・芸者・幇間・男衆・遊客」などの主たる人物像も、この月次十二図の中には、何処にも出て来ないのである。
 ここで、抱一の、この「吉原月次風俗図」というネーミングは、抱一の意図することを斟酌すると、これは「吉原月次俳画図」ともいう分野のもので、それも、先ず、俳句(発句)があって、その「俳句(発句)」に、「べた付け」(画と句とが「付かず離れず」(響き合う)がベターとすると「べったり付き過ぎる」関係)を、極力排しての「画」作りをしているということなのである。
 ずばり、今回のように、「吉原月次風俗図」の「三月・夜桜」の一幅ものを見ていなくても、その「花街柳巷図巻」の「三月・夜桜」の「賛(前書きと句)」と「画」とにより、それらに接した者が、例えば、渓斎英泉筆「東都名所画 吉原の夜桜」や、鈴木其一筆「吉原大門図」などを連想し得たということならば、恐らく、抱一の、これらの、「吉原月次風俗図」の「三月・夜桜」、そして、「花街柳巷図巻」の「三月・夜桜」を制作した、その抱一の真意の一端に触れていることであろう。
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