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町物(京都・江戸)と浮世絵(その四 北尾政演・山東京伝) [洛東遺芳館]

(その四) 浮世絵(北尾政演・山東京伝作「吉原傾城新美人合自筆鏡」)

山東京伝.jpg

北尾政演作「吉原傾城新美人合自筆鏡」

http://www.kuroeya.com/05rakutou/index-2014.html

江戸時代後期の流行作家山東京伝は、北尾政演(きたおまさのぶ)という画名で浮世絵を描いていました。その政演の最高傑作が、天明四年(1784)に出版された『吉原傾城新美人合自筆鏡』です。当時評判だった遊女の姿を描き、その上に彼女たち自筆の詩歌を載せています。右の遊女は松葉屋の瀬川で、彼女は崔国輔の詩「長楽少年行」の後半を書いていますが、他の遊女たちは自作の和歌を書いています。

上記の紹介文で、流行作家(戯作者)「山東京伝(さんとうきょうでん)」と浮世絵師「北尾政演(きたおまさのぶ)とで、浮世絵師・北尾政演は、どちらかというと従たる地位というものであろう。
 しかし、安永七年(一七七八)、十八歳の頃、そのスタート時は浮世絵師であり、その活躍の場は、黄表紙(大人用の絵草紙=絵本)の挿絵画家としてのものであった。そして、自ら、その黄表紙の戯作を書くようになったのは、二十歳代になってからで、「作・山東京伝、絵・北尾政演」と、浮世絵師と戯作者との両刀使いというのが、一番相応しいものであろう。
 しかも、上記の『吉原傾城新美人合自筆鏡』は、天明四年(一七八四)、二十四歳時のもので、その版元は、喜多川歌麿、東洲斎写楽を世に出す「蔦重」(蔦屋重三郎)その人なのである。
さらに、この浮世絵版画集ともいうべき絵本(画集)の「序」は、「四方山人(よもさんじん)=太田南畝=蜀山人=山手馬鹿人=四方赤良=幕府官僚=狂歌三大家の一人」、「跋」は、「朱楽管江(あけらかんこう)=准南堂=俳号・貫立=幕臣=狂歌三大家の一人」が書いている。
その上に、例えば、この絵図の右側の遊女は、当時の吉原の代表的な妓楼「松葉屋」の六代目「瀬川」の名跡を継いでいる大看板の遊女である。その遊女・瀬川の上部に書かれている、その瀬川自筆の盛唐の詩人・崔国輔の「長楽少年行」の後半(二行)の部分は次のとおりである。

章台折揚柳 → 章台(ショウダイ)揚柳(ヨウリュウ)ヲ折リ
春日路傍情 → 春日(シュンジツ) 路傍(ロボウ)ノ情(ジョウ)

 この「章台」は、遊里のこと。「折揚柳(セツヨウリュウ)」は、「別離の時に歌う楽曲(楽府題=がふだい)の名」、そして、「春日」は「春の日」、「路傍情」は、「路傍を見ている遊女との心の交流」のようなことであろう。

澱河歌.jpg

 蕪村筆「澱河曲」扇面自画賛(A) 紙本淡彩 一幅 一七・八×五〇・八センチ

款 右澱河歌曲 蕪村
印 東成(白文方印)

賛 遊伏見百花楼送帰浪花人代妓→伏見百花楼ニ遊ビテ浪花ニ帰ル人ヲ送ル 妓ニ代ハリテ

  春水浮梅花南流菟合澱→春水梅花ヲ浮カベ 南流シテ菟(と)ハ澱(でん)ニ合ス
  錦纜君勿解急瀬舟如電→錦纜君解クコト勿レ 急瀬(きふらい)舟雷ノ如シ
  菟水合澱水交流如一身→菟水澱水ニ合シ 交流一身ノ如シ
  舟中願並枕長為浪花人→舟中願ハク寝ヲ同(とも)ニシ 長ジテ浪花ノ人ト為ラン

  君は江頭の梅のことし
  花 水に浮て去ること
  すみやか也
  妾は水上の柳のことし
  影 水に沈て
  したかふことあたはす

澱河歌二.jpg

蕪村筆「澱河歌」扇面自画賛(B) 紙本淡彩 一幅 二三・〇×五五・〇センチ
  
款 夜半翁蕪村
印 趙 大居(白文方印)

賛 澱河歌 夏
  若たけや
  はしもとの遊女
  ありやなし
    
澱河歌 春
  春水浮梅花南流菟合澱→春水梅花ヲ浮カベ 南流シテ菟(と)ハ澱(でん)ニ合ス
  錦纜君勿解急瀬舟如電→錦纜君解クコト勿レ 急瀬(きふらい)舟雷ノ如シ
  菟水合澱水交流如一身→菟水澱水ニ合シ 交流一身ノ如シ
  舟中願同寝長為浪花人→舟中願ハク寝ヲ同(とも)ニシ 長ジテ浪花ノ人ト為ラン
  君は江頭の梅のことし
   花 水に浮て去事すみ
   やか也
   妾は岸傍の柳のことし
   影 水に沈てしたかふ
   ことあたはす

 蕪村には、「北寿老仙をいたむ」(「晋我追悼曲」)、「春風馬堤曲」、そして、「澱河歌」の、三大俳詩がある。この「春風馬堤曲(十八首)」と「澱河歌(三首)」とは、安永六年(一七七七)、六十二歳の折の春興帖『夜半楽』に収載されているもので、「老鶯児(一首)」と併せ、三部作の連作詩篇として夙に名高い。
 この『夜半楽』収載の三部作のうち、「澱河歌」は、「春風馬堤曲」の盛名に隠れて、その従属的な作品と解されがちであったが、上記の「扇面自画賛」(AとB)などの紹介などと併せ、逆に、「春風馬堤曲」の先行的な作品として、『澱河歌の周辺』(『与謝蕪村(安藤次男著)』)などで、蕪村のエロティシズムの俳詩として再評価されている。
 『蕪村の世界(尾形仂著)』では、「扇面自画賛」(A)は、「これは安永五年二月十日、上田秋成送別の宴席で成ったものかと推定される」とし、さらに、「扇面自画賛」(B)に記されている「若竹やはしもとの遊女ありやなし」の句について、「安永四年五月二十一日、几董庵月並句会での兼題『若竹』によるものであろう」とし、その前後の作であることを示唆している。
 何れにしろ、安永六年(一七七七)、春興帖『夜半楽』の三部作、「春風馬堤曲(十八首)、「澱河歌(三首)」、そして「「老鶯児(一首)」は、それぞれに相互に連動している、晩年の蕪村の「華やぎと老懶」の詩境を如実に反映していることは想像する難くない。
 そして、この『澱河歌』の、「澱河」(澱水)は、淀川、「菟水」は、宇治川の中国風の呼び名で、「京都伏見の百花楼で、淀川を舟で浪花へ帰る男を見送る遊女にかわって、蕪村がその惜別の情を詠んだ漢詩(二首)、和詩(一首)より成る、楽府題の一曲」というのが、この俳詩の解題ということになろう。

 ここで、冒頭の北尾政演(山東京伝)作「吉原傾城新美人合自筆鏡」の右側の遊女・瀬川と、その瀬川自筆の「崔国輔の詩『長楽少年行』」の「折揚柳」とに戻りたい。この楽府題の歌語の「折揚柳」は、蕪村の「澱河歌」の、「君は江頭の梅のことし/妾は水上の柳のことし」と対応している。
 すなわち、上記の冒頭の「吉原傾城新美人合自筆鏡」の右側の遊女・瀬川の背後には、蕪村が「扇面自画賛(A)」で描いている、「男(少年)」との別離が見え隠れしているのである。さらに、「扇面自画賛(B)」で続けるならば、その冒頭に出て来る「若竹やはしもとの遊女ありやなし」と連動している。
 この「はしもと(橋本)」は、現京都府八幡市内、当時、淀川に沿う大阪街道の宿駅で、旅籠屋にわずかの宿場女を抱えた下級の遊所があった。付近には竹林が多く、蕪村がその竹林の奥に幻視しているのは、『撰集抄』に見える「江口・橋本など云(いふ)遊女のすみか」と、西行に連なる遊女のそれであろう。
 そして、蕪村は、安永六年(一七七七)の、この春興帖『夜半楽』の刊行に続けて、亡母追善の意を込めての回想集『新花摘』を刊行するが、そこに収載されている、「ころもがへ母なん藤原氏なりけり」「ほととぎす歌よむ遊女聞こゆなる」などの発句は、蕪村の亡母追悼のものとして、これまた、「春風馬堤曲」と併せて、夙に知られているものである。
 
 ここまで来て、扇面自画賛(B)の、「澱河歌 夏」「澱河歌 春」に対応しての、蕪村の、それに続く、「澱河歌 秋」、そして、「澱河歌 冬」は、それらは、どのようなものであったのであろうか(?)
 それらは、永遠の謎ということになろう。そして、その蕪村の、永遠の謎の一つの解明として、安永三年(一七七四)、蕪村、五十九歳の折の、「老(おい)が恋わすれんとすればしぐれかな」、そして、安永七年(一七七八)、六十三歳の折の、「絶えだえの雲しのびずよ初しぐれ」の句が、冒頭の、北尾政演(山東京伝)作「吉原傾城新美人合自筆鏡」の右側の遊女・瀬川と、その瀬川自筆の「崔国輔の詩『長楽少年行』」の「折揚柳」と、見事に交叉して来るのである。

補記一 「吉原傾城新美人合自筆鏡」(国立国会図書館デジタルコレクション)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288343

補記二 浮世絵 山東京伝・北尾政演

http://heartland.geocities.jp/hamasakaba/44kyoden/

補記三 東洲斎写楽の登場秘話、蔦屋と山東京伝の筆禍

http://www.ten-f.com/kansei3nen.html

補記四 山東京伝・歌川豊国らの「腹筋逢夢石」

http://nangouan.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306128158-1

補記五 蕪村の俳詩「澱河歌」周辺

http://yahantei.blogspot.jp/2006/11/blog-post.html

補記六 蕪村の「夜半楽」周辺

http://yahantei.blogspot.jp/2006/09/blog-post.html

夜半楽(『蕪村全集七 編著・追善』所収)

目録
歌仙    一巻
春興雑題  四十三首
春風馬堤曲 十八首
澱河歌   三首
老鶯児   一首
(この「目録」に継いで、次のような序文が記されている。)

祇園会(ぎをんゑ)のはやしのものは
不協秋風音律(しうふうのおんりつにかなはず)
蕉門のさびしをりは
可避春興盛席(しゆんきようのせいせきをさくべし)

さればこの日の俳諧は
わかわかしき吾妻の人の
口質(こうしつ)にならはんとて

(「歌仙(一巻)」「春興雑題(四十三首)」略)

   謝 蕪 邨
余一日問耆老於故園。渡澱水
過馬堤。偶逢女歸省郷者。先
後行數里。相顧語。容姿嬋娟。
癡情可憐。因製歌曲十八首。
代女述意。題曰春風馬堤曲。

春風馬堤曲 十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤ヨリ下テ摘芳草  荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情    裂裙且傷股
○溪流石點々   踏石撮香芹
 多謝水上石   敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客   能解江南語
 酒錢擲三緡   迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄   籬外草滿地
 雛飛欲越籬   籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側

澱河歌 三首

○春水浮梅花 南流菟合澱
 錦纜君勿解 急瀬舟如電
(春水(しゆんすい)梅花ヲ浮カベ 南流シテ菟(と)ハ澱(でん)ニ合ス
 錦纜(きんらん)君解クコト勿レ 急瀬(きふらい)舟電(でん)ノ如シ)
○菟水合澱水 交流如一身
 舟中願同寝 長為浪花人
(菟水澱水ニ合シ 交流一身(いつしん)ノ如シ
 舟中願ハクハ寝(しん)ヲ同(とも)ニシ 長ク浪花(なには)ノ人ト為(な)ラン)
○君は水上の梅のごとし花(はな)水に
 浮(うかび)て去(さる)こと急(すみや)カ也
 妾(せふ)は江頭(かうとう)の柳のごとし影(かげ)水に
 沈(しづみ)てしたがふことあたはず

老鶯児 一首

春もやゝあなうぐひすよむかし声 

安永丁酉春 正月
    門人 宰鳥校
平安書肆 橘仙堂板

補記七 蕪村の『新花摘』周辺

http://yahantei.blogspot.jp/2006/06/blog-post_114982024055218622.html




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